母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年4月17日

5時30分目が覚めたのでたん取り器で取ったり洗顔したりしているうち6時になった。6時30分看護婦さん見える。体温測定36.5度。熱が下がって良かった。手が腫れて困る。もし言ったら治療するので退院遅くなると困るので言わないことにしている。がまんするより他ないと心のなかに思い続けている。

7時30分朝食時間、卵ご飯して食べる。牛乳2本飲んだら少しは落ち着いた。みそ汁もご飯も飲みにくいので出すばかり。早く終わって家に帰りたい。しばらく安静にして寝たり起きたりして1ヶ月程は養生しとくつもり。そうすると自然に喉も良くなり食べれるようなると思う。

9時15分体拭く。9時25分点滴時間。処置時間は手術で遅くなるのだろう。放送で午後からするというので少し休む時間あるから横になろう。11時頃に電気に下りて下さいと放送で呼び出しあると思う。

11時30分放射線科受けに行く。昼からあるのかもと思いゆっくり横になっていたら急に放送あり、電気に下りてくれという。支度して行く。行ってしばらくしてから先生に案内されて機械の上に横たわる。売店に寄り買い物して自分の部屋に戻る。

放射線科終わり診察日なので診察室に入って行く。一人待ってた。その前診察していた人もいた。私呼ばれて先生の前に行く。喉を診る。後2回受けたら良い。明日、明後日と二日放射線科受けたら終わりと言ってくれた。涙が出そうな程嬉しかった。ようやく終わる。

戻ると早お昼の食事が来ていた。遠回りして部屋に入る。アイスクリーム溶けたらいけないので先に食べて、卵ご飯して食べる。おかずは弁当に入れてあげる。クリーム食べていてもヨーグルト飲んでいてもお昼からと言ってたからもう1時30分になったからあるかもしれないと思い落ち着かないので待合室前で待つ。

待っていたら検温時間と言うので部屋に戻り体温測る。37.2度あった。しばらく寝とこうと思い一番最後に行こうとゆっくりしていたら呼び出し受ける。すぐ行って喉診察する。だんだん小さくなっていると言った。後2回で終わりだねと先生言う。弱っているけどがんばってねとも言った。放射線科終わったら今度は点滴外し喉の所処置するはず。

美智子はお昼すぎに来たがご飯食べていないのでどこで食べようかというのでおはぎ食べたらと言うと帰って食べると言うので地下の食堂で食べておいでと言うと食べた後まっすぐパーマ掛けに行くからと言うのでまっすぐ行っておいでとやる。夫は温泉入りに行っているという。夫は3時40分来る。終わったんだろう。アイスクリーム2個、ウーロン茶2本、ジュース1本買って来てもらう。

美智子は5時頃来る。地下のパーマ屋さんは混んでたので他の所に行ったという。早く済んだのでデパートに行ったという。4時過ぎ時夫中休みに来て5時頃局へ戻る。5時30分晩ご飯時間。おかずは持たせてあげる。5時40分夫と美智子帰る。急に淋しくなる。後わずかだから辛坊しなくちゃと思い気を取り直す。

7時30分体温測定、37.5度。水枕してもらって寝る。気持ち良い。冷たいから少し氷を取り額にも冷たい水で冷やす。トイレに行ってるうち消灯時間で電気消してあった。うす暗い部屋。9時40分消灯時間で休む。