母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年4月24日

8時10分食事済みお膳出す。ガーゼ、タオル、ハンカチ等洗濯する。干し場所無いのでベッドの手すりに干す。どうも喉の所調子悪くまた飲む気しない。9時23分体拭く時間終わって処置室前に行きもうすぐ9時30分になるので待っとこうと思って座っていたら婦長さんは手術が終わってから来るので遅くなるというので自分の部屋に戻る。

10時30分になったら行こうと思って横になる。10時35分もうすぐ先生来る頃だからと思いトイレ終わりすぐ行って待つ。患者さんの人たちが椅子で待ってたので私は端にいてたら亀井さんが放送があり急いで来たという。結局2番目に診てもらう。先生は痛いのだと言って消毒して薬塗る。婦長さんが鏡があるから行って自分でしてみたらというので自分で鏡見ながらする。上手いこといったのでほっとした。

着替えしたの洗おうかどうしようかと迷ってたが5時頃時夫君来るので洗濯してもらうのに持って帰ってもらおう。バケツ持って行ってしまったので洗うのには洗面器しかない。美智子にまた迷惑かけることになるのだが許してね。後二日で退院だから帰るまでがんばってね。お願いしますよ。

12時昼食時間。人参とホーレン草の白和え、豆腐、煮付け、卵焼き。本当に飲み込めたら良いのにといつもながら思う。まだ喉の所が詰まってそれより下には下りない。放射線科当たったのでそのせいかもしれない。じっくりのんびりと待とう。きっとこの病気を克服してみせる。二日後退院する。無事に退院できますように。新築の家に夫や子供は早二ヶ月も住んでいるのに私は初めて住む家なのだ。

1時30分、3時になったら売店に買いに行こうと思う。2時40分急に先生が来る。26日退院言った。少しは食べれますかと聞くので食べれますと言った。懐かしい先生に会うとは。急に訪れたのでびっくりしたり懐かしいやら。でも先生の名前忘れて思い出せない。救急センターに入院してた頃の先生かしら。先生また明後日来るといって戻って行った。

3時売店に買い物行く。時夫君が仕事終わってここに来るのでイナリズシ買っておいた。喜んで食べてくれたらいいが。4時30分アイスクリーム食べたり牛乳飲んだりケーキ食べたり飲み食いばかり。皆のようにちゃんとご飯食べれるといいけどそれができないので困る。牛乳や他ので栄養つけないといけない。点滴は段々少ないのに変えていくので他で取らないと痩せるから水曜日頃点滴抜くと思うけど。

9時30分消灯時間。看護婦さんが水曜日の25日に点滴抜くからという。3ヶ月15日振り点滴外してもらう。嬉しく思う。ようやく点滴抜けるようになった。半分はもう抜けないのではないかとあきらめ半分だった。