母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年6月28日

看護婦さんの覚書

婦長さん 野田さん 少し厳しい顔している。近寄りがたし。
次席 正岡さん やさしく気さくな人。
岩国さん ぽちゃぽちゃ顔している。
和田さん やさしく幼顔している人。
宇都宮さん 怒りんぼの人。
久保さん 実直な人。
尾田さん 目の大きな人。
西山さん あっさりして姉似ている。

6時起床時間。カーテン上げて水枕替えて6時10分帰って行く。急に淋しくなる。仕方ない。6時30分体温36.7度あった。この頃微熱続く。どうしてだろうか。おかしい。時々咳が出る。先生に言って良いものかと迷う。喉の奥も腫れている。本当に迷う。困ってしまう。

7時35分食事時間、中止。食事なし、パンだけ。9時30分処置時間。私はまだ大勢座っているので空いた頃見計らって行くことにする。ただ取り替えするだけだから。10時処置室行く。3人待つ。順番来たので入る。婦長さん消毒して薬付けて先生取り替えする。先生は良く元気になったとにこにこしていた。先生は何も診てくれない。ただ取り替えだけ。私の番には先生本当に楽のようだ。

終わってまっすぐに1階へ行き売店で買い物して3階に戻る。戻ってみると蒸しタオル置いてあった。すぐトイレ行き体を拭く。11時過ぎ掃除に来る。今日は遅れて11時50分来る。私は牛乳、あんぱん小2、大1、豆乳半分飲む。

1時点滴なし。2時体温36.7度。咳する。風邪引いたのだろうかと正岡さんにいう。3時20分雷注意報、濃霧注意報出ましたが今は雨が降っているだけ。朝から降り出す。時夫君配達等大弱りだろう。大変ご苦労様です。

3時25分今日も雨が降っているので来ないだろう。金曜日買い物すると言ってたから明日来るかしら。4時15分点滴のところを貼り替えする。やはり切って針さしがあった。5時35分食事中止。今晩は久君が買ってくれたバラズシ。おいしかったがごはん固くて噛めないのが惜しい。味付けおいしかった。牛乳残しておいた。豆乳である。胃に入らないからひとつもおなかは満腹も食べたようにならない。豆乳も牛乳も吐き出すからごはんは少し噛んだら出すので一つも食べたようにない。いつも空いている。早く良くなってごはん食べれたらどんなに良いかしれない。早くそうなりたい。歯を早く入れないと食べても噛むことできない。歯茎両方痛む。困ったものよ。外科が来週火曜日に終わる。次は歯科へ。

久君5時に来て私のためわざわざ末広マートに買い物行く。バラズシ、イナリズシ、牛乳、ケーキ買って来る。夕ごはんにバラズシとイナリ食べる。7時に帰る。私は急に淋しくなる。


7時点滴なし。大取り替え。8時検温36.7度。8時30分報告終わり注射9時に頼む。時夫来てくれた。助かった。本当に来るのかしらと不安だった。ちょっと体の具合悪いが寝てたら余計悪いから日記書く。だんだんましになる。早目に注射して寝ようと思い9時に頼む。

9時注射に来てくれ注射おしりにする。そろそろ注射効いた頃かしら。眠気しない。9時30分消灯時間。今日は家の当番という。町内会費集金しなくてはいけないらしい。4軒分18000円組会長宅に持って行ったという。集金しないつもりかしら。惜しい。大損だ。今に暇見つけて集めるだろう。私は思う。今日もお陰で無事に一日過ぎた。