母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年6月29日

朝になった。どんより曇りうっとうしい毎日だ。6時起床時間。早く目が覚めて5時55分に起床する。水枕取り替えたん取りしてくれる。夜中にまだ12時前だった。もう2時にはなっていると思った。時夫君は足が痛いと貼る。私は脇と背中を湿布貼ってもらう。すうすうとして気持ちが良い。これで休めると思いまた一寝入りする。トイレに行きまた一寝入り。

6時30分体温36.6度。35分報告済み。背中痛、点滴している所痛む。脇、手先しびれて腫れているみたい。握りにくいから。頭が痛む。今日は後ろとてっぺんが痛む。床ずれしているせいかおしり痛いので枕据えて少しはましだ。夜明け頃急におなかはってじくじく痛く便秘のせいかしら。便なし3日続いたのでそれで痛むのだろうと思い言わなかった。相変わらず同じ所痛む。書いていると腕痛む。これから8時まで休もう。

朝食は中止だから用事なしである。今朝メニューはケーキ1個、牛乳1である。軽い朝食である。昼は豆乳が出る。7時35分朝食時間、中止。いつまでないのか。胃の中に入って行かないのでおなか空く。ケーキは吐き出すし牛乳も半分は出すからいつも空いてる感じだ。

8時15分便ないため座薬入れる。5分経って出た。ほんの少し。9時30分処置時間午後からあるという。手術があるんだろう。それに来れないと思う。9時30分の処置は午後からになった。看護婦さん来て蒸しタオル出たよと言って持って来たのに探してもない。昨日のがもう拭いたのだと勘違いして持って行ったのだろう。パンツだけ替える。せっかく裸になったのだからと思って。

10時30分あまりセット櫛汚れていたから洗う。これから人生回想書く。点滴取り替え大1。2時処置時間最後に行く。宮本先生だった。何か食べている、豆乳だけ飲んでいるのと聞く。はいと言った。食事のこと聞いても聞こえないので何か書く紙ないと聞いて帳面出すので食事出ないのですかと聞いたら肺炎の方に行くといけないのでもうしばらく待ってという。仕方ない。

戻ってお昼の食事する。豆乳半分、牛乳半分、ホットケーキ食べる。美智子と夫来る。後で食べるから夫食事してくるという。ついでに昼と晩の分にと思い頼む。パン1個ケーキ1個買って来て欲しいと頼む。私は2時半頃処置時間の放送ある。

2時35分体温36.7度。8時体温。8時30分報告、注射を頼む。9時30分に注射しに来るはず。9時30分消灯時間。今晩はおなか少し痛むのでもう休もう。