母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年7月15日

6時起床。朝早くから咳出て困ってしまう。トイレに行き顔洗い口すすぐ。6時30分報告、門田さん。今日どんより曇り。気持ちまで湿ったような思いする。腸の検査が明日にあるのでもし失敗したら悪いから今日のうちに断ろうと思い中止して欲しいと書いたら看護婦さんは下剤くらいなら飲めるやろというのでそのくらいなら飲めると思い中止するの止める。

やはり押しの一手だった。一度言ったんだから途中で止めるとは女として九州女の恥なんだ。やってみよう。失敗に終わらないように成功しますように。悪いことなかったらこの上ない喜ばしいことだから胃に穴開けるのはいつなのかしら。どうせするなら早いほうが良いと良いと思う。乳首の下のしこりも取り除くといってまだしてない。どういうわけなのかしら。

今日は痛みで目が覚める。トイレ行ったりしたら早7時。後もう少しで食事時間だから起きていよう。豆乳飲んでしまった。咳止め薬も飲む。座薬する。夕方までは痛みも軽い痛み。7時35分処置時間。朝のメニュー豆乳、牛乳、ケーキ。

9時30分処置時間。体拭き体重測定33.8キロ。10時頃取り替えする。佐藤先生5時までいるとのこと。時夫来たので知らせて先生に会いに行き話を聞いたと思う。点滴難しいとのこと。良く消毒してちゃんとしないとバイキン入ったらいけないから。

6時30分帰る。久君6時に来て7時に帰る。7時点滴なし。8時体温37.2度。9時30分消灯時間。