母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年7月18日

6時起床。久昨日休みで早く来る。5時。時夫君は散髪に行ったという。6時30分検温37.4度。報告。7時35分食事時間、中止。朝食メニュー豆乳、ケーキ。

9時30分処置時間。9時20分シーツ取り替え。その間に売店へ買い物へ行く。済み戻ってみると処置前は椅子にいっぱいだった。私は少し空いてからと思い10時30分に取り替えする。口からでも食べれるけど 気管 のほうが吐いて胃の方は詰まってるという。それでどうしても気管に行くので肺炎になるから注意して欲しい。何でも口先で味わって吐き出す。がんばりなさいね。火曜日にするから。局部麻酔で痛み止め注射してするから簡単にできると先生は言う。

不安と心配で心は暗い。いつも涙が出る。せんで良いものだったらしないが、私がわがまま言ったら皆困るだろう。点滴もこのまましておくわけいかない。困る。思い切ってするより仕方ない。悲しいことばかり。だんだん人間じゃなくなっていく自分が哀れだ。

今日も美智子来ない。どうしてるんかしら。早く退院できるようがんばろう。心でそう思っても熱があっておなか痛むし首筋も痛む。弱るばかり。

12時35分食事時間、中止。昼食メニューおはぎ、牛乳、豆乳、おむすび。1時点敵なし。2時体温37.4度。3時20分看護婦さんより散髪してもらう。後髪洗う。髪切るのも4ヶ月髪洗うのも4ヶ月振り。7時点滴注射。検温37.5度。8時報告。9時に注射してもらう約束する。9時30分消灯。