母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年8月13日

6時起床時間。体温36.5度。報告久保さん。目覚め悪し。朝早くから頭痛がする。切り傷が今朝は妙に痛む。なぜかしら。今朝から体の調子悪い。カーテン開けて窓開けて外の空気入れさわやかな風が吹いてくる心地よさよ。花が乱れてきたのできれいな所だけ折ってコップにいける。またかわいい花に見える。

7時流動食する。8時終わる。薬、さゆ入れ吐き気催し具合悪くなりトイレ行って横になる。9時20分体拭きまたもパンツ汚し捨てる。パンツ、シャツ替える。9時30分処置時間。まだ大勢いるので10時。9時50分血管注射2本する。済んだら流動食。11時50分買い物へ売店へ行く。

12時20分食事時間。1時流動食。今日はちょっと買いすぎたと思う。美智子いつも早いので一緒に食べたらいいと思い買ったのだが今日に限って遅い。3時頃に来るのかもしれない。1時点滴時間。2時体温36.9度。報告。吐き気なし。胸少し痛む。切り傷痛む。頭痛い。

2時30分美智子来る。新聞やおにぎりこさえて卵焼き持って来る。美智子ありがとうね。夫も来る。今日はごみ捨て吐いたもの捨てて帰って行く。本当にありがとう。嬉しいですよ。9時30分に処置があったと思い自分で取り替えたが3時に処置がある。後から行って取り替えと付け替え済ます。佐藤先生は下痢便治ったかと聞くのでまだありますというと笑ってたし薬変えたと言ってた。そのうち治るだろう。じっくり待とう。様子見ようと先生言ってくれる。

3時30分夫と美智子は明日早く来るからと帰って行った。そろそろ4時になる。もうすぐまた流動食。昼食時間に持って来た看護婦和田さん見たことあると思いきやここの詰所にいてた看護婦さんだった。肺炎で10日程入院してたという。びっくりした。優しい看護婦さん。私の気が合う人また増えた。元気になって良かった。3人共9月にも入院すること承知してくれた。ゆっくり入院しよう。もうどうしても帰らなければいけないと仕方ないがそれじゃないと9月までじっくりいるつもり。流動食も大分慣れたのかあまり気分悪くならずあまり吐き気もしない。順調に行くとよろしいが。

3時52分たん取り、消毒取替えする。5時20分時夫君来る。卵食べさせようと思い買ってたのに食べず持って帰る。蒸しパン食べてくれたので良かった。嬉しかった。私は自分食べるより食べさせるのが嬉しいし楽しみでしているのだから。5時35分皆と一緒に美智子がおむすび、卵焼き持って来てくれたので食べる。ウーロン茶、牛乳飲む。

今日一日とうとう下痢便でお便所通い。明日は良くなって欲しいと願う。6時30分時夫君帰る。7時久君帰る。点滴時間。8時検温。8時30分報告。9時20分トイレから戻ると注射器と食事ある。看護婦さんが来ていたのだろう。ベッドの上に上がり待つ。しばらくして来る。先に睡眠、痛み止め注射する。下痢が止まらないので9時の流動食止めることにした。喉が渇いたのでウーロン茶、ヤクルト飲む。9時30分消灯時間。おやすみ。