母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年8月15日

6時起床時間。体温36.7度。報告終わり尾田さん。相変わらず水便。おなか痛む。7時流動食時間。あまりゆっくりすぎて味気ない。7時35分食事時間、中止。今日はシーツ替え日。その間買い物に行って来ようと思う。時夫君お休みで3時頃来るだろう。

7時25分切り傷も大分痛み和らぎおなか調子悪し。ガス出る。巻きずし、ケーキ食べる。食べても吐かなくてはいけないのでつまらない。でも仕方ない。私の運命。佐藤先生もチューブしたのでおなかいっぱいになって楽しみにしてたのに毎日下り気味で本当に思うよう行かないものだと先生は言っていた。今日は内科へ紹介すると言ってたから呼び出し受けてから行こう。早く水便治って欲しい。

8時30分掃除おばさん来る。9時20分シーツ替え。9時30分処置時間。9時45分に処置行く。今日は何も言わない。10時流動食。20分終わる。終わったらおさゆ入れるがなぜだろ。水便で乾燥肌になったらいけないからだろう。10時30分内科へ行く。診察、脈見る。耳鼻科の先生に伝える。戻りしな買い物して部屋へ戻る。

12時40分美智子弁当持ちで来る。私の分もおにぎり、かぼちゃ、卵焼きと持て来てくれた。早速食べる。半分ずつ食べて晩ご飯に置いて晩に食べるつもりで残す。1時30分流動食。美智子外出する。2時に終わる。時夫君お休みと聞いてたので美智子共遅く来ると思ってたら美智子11時40分来る。時夫君明日お休みらしい。夫が休みで連れて来てもらったのだろう。そう思う。

今日は遅かったせいか売店ではあんぱん、味付けパン、ホットケーキ、弁当等私欲しい物買うつもりは何もなかった。4時処理所へ捨ててハンカチ洗い弁当箱洗いトイレ行く。部屋に戻り美智子帰っていた。美智子が隣の人か知らないけど看護婦さんが言ったのか吐いたの捨てないで詰まるからというのでこれで2回も言われる。やっぱり私のせいにするんだな。前の人こわい人だと思う。いや自分さえしっかりしてちゃんとしていれば構わないと思う。何も悪いことしてないのだから。言ったからすっとしたろうよ。

4時15分流動食する。今日はゆっくりするという。早めにしても下痢するんだという。難しいものよ。しんきくさい。自分で早めにする。4時45分済む。おかげで吐き気ない。やはりおなかがごろごろして痛むしおならばかり出る。