母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年10月12日

6時のサイレンで目を覚ます。頭が痛く胸が少し痛い。どうしてだろう。6時3分時夫君起きて来てみそ汁沸かしている。起きてみそ入れる。時夫君自分でみそ汁ついでごはんもついで食べているので飯台が淋しいのではりはりと塩漬け、卵とあげる。6時45分はりはりも卵も食べてくれた。嬉しいことよ。久君起きて来る。支度してあげる。食進まないみたい。まだおなか悪いのかしら。お茶も今日より玄米茶にする。段々冬に近づく。寒さも厳しくなってくる。どうしよう。これからストーブのそばから離れないようになる。セーターもとっくりセーター着れなくなる。困ったものよ。家で過ごすからセーター買わずパジャマで過ごさないと。どうせ前はびしょびしょ濡れて困る。

7時流動食する。7時18分口より食事。チキンスープの素1個入れておじやしたがおいしい。美智子注射してこれから食事する。私は付き合うため少しごはん入れてもらいみそ汁かけごはんする。8時30分終わり洗いやけ、洗濯する。干すのは美智子にしてもらう。トイレ掃除、風呂まではできなかった。玄関掃除する。すすきと草花つんで挿しておいた。ようやく水が上がって元気になった。つぼみだからあまりきれい事ない。つぼみはそのうち咲くだろう。水替えておく。11時より買い物行く。私は留守番。喉の所と傷手当てする。11時30分手当てと取り替え終わり。

傷口少々痛む。喉の所白カビみたいのあったが先生心配いらないといってたが本当に心配いらないのだろうか。少々痛い。一生これで過ごさないといけないのか。ぼやいているのはいけない。我慢我慢の毎日。情けないの毎日だが、でも命助かっただけが幸福だと思わないといけない。11時30分美智子と夫買い物行く。夫は嫌そうであった。風呂に入りに行くのだったら喜んで行くのだけど買い物だと嫌々で行く。ごめんね。雨が振るのに。でも野菜がないので仕方ない。

11時57分そろそろ昼食。ラーメン作って食べる。美智子へ1000円あげる。食料品代に10000円持って行く。1時45分食事する。2時丁度終わりがけ頃美智子達帰る。私はまた食事する。玉子焼き半分食べる。一緒にまた食事する。洗いやけ済ましガーゼ、ハンカチ洗い夫の下着脱いで置いているので洗濯する。そのまま置いているのがどうも嫌なので洗濯して中で干す。3時5分夫も美智子もお昼寝する。私も少し頭痛するので昼寝する。裏人は雨が降るのにしている。枠をセメントで埋めてしまって土は持って来たんだろう。きれいな土だが埋めるんかしら。

相変わらず雨模様。美智子はしきりにあまり安くなかったという。品物ぼろいと安いのかも。それに雨模様で魚不漁で高いし野菜も不作で高いのかも。貧乏は食べずおらんといかんようになるのかも考えてると食べるってこと幸福なことと思う。私は食べたくても飲むか吐き捨てる。肉も魚も口で食べても吐き捨てなければいけないのだから情けなくなってくる。歯はないし噛めないしで悲しくなってくる。裏の人はお昼休みなのかしら静かだが。家が建ってくると大きな家だから暗くなるんじゃないかしら。ますます陽が出ないし日当たりはならないのかもしれない。

3時15分これからお昼寝する。4時15分目覚める。夫は夜勤ゆえこれから食事して5時出かける。寒いのでストーブ付けて間もなく夫が灯油切れているからないという。買って来てくれたら良かったのにと思う。言ったら良かったと思う。5時15分流動食する。6時美智子炊事している。終わってサラダこさえようと思いもやしの根取ったり終わってもやしとキャベツのサラダする。7時30分食事。私は明日朝のみそ汁こさえ、もやし根取った後コンロ皿が汚れているので洗う。8時30分食事ひじきの煮つけ、ごぼう固いので食べれずラーメンこさえ食べる。9時38分時夫風呂に入り9時55分美智子風呂に入り10時7分古い昔の映画切腹をやっている。時代物だ。これから風呂に入り手当てして寝よう。