母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1991年8月7日

1時40分私は眠いのに早く起きて話しかける。ばあちゃんはひどいこという。美智子を足らんのだという。悲しい。酷すぎる。6時体温37度。朝の報告。検査してもらうように頼む。7時20分注入、採血する。今朝は寝たり起きたりするのが痛くて困るので座ってしてもらう。左手腫れているので右手ばかりする。漏れて腫れたりあざになったりである。8時30分体拭き。9時30分処置時間。頭にたんこぶできているので薬塗る。おしりもみもみしてくれた。写真撮るようにといった。12時10分注入。点滴大小ようやく終わる。

10時頃母は履物を買いに行くといって出かけた。草履買ってくれた。1時30分帰る。今晩は来れないという。12時40分美智子来て弁当食べる。昨日折りもらったのだという。私も食べたい。残念、仕方ない。1時30分美智子買い物に行く。母より2000円もらったのであげる。2時30分検温36.8度。たん取る。やはり詰まってたのでおかしかったのである。ようやくすっきりした。打った所痛むのと手、顔、あごの腫れを報告。

3時20分婦長さん明細書持って来る。看護婦さんが診てもらっている時に何か言わなかったかと来る。頭打ってたんこぶできているので心配だから検査して欲しいという。今手術しているので上がって来たらどういうか聞いてみるからという。もうここへ入院して3回打ったしおしりも2回打つ。それで余計心配。検査して欲しいといった。頭だけでなくおしりもひび入ったりしてないか心配だから。何でもなければ良いし安心する。どうなることやら。

夕べ母は美智子のことを憎みけなす。情けない。前に行った時美智子がすぐ帰れといったので、母はこれはいつ棍棒で叩かれるか恐ろしかったので行かなかったという。えらい憎みよう。あげても嬉しいのかちっともわからないから美智子には何もあげたくないとも言った。

注入した後におなかが痛む。朝も夕方もじっとこらえてるがガスたまって痛むのかしら。5時美智子連れて帰る。9時までには来るといった。もう少し早目に来てくれたらいいが仕方ないだろう。7時15分注入ようやく済んだ。点滴小、体温36度。注射頼んだけどしてくれるかしら。