母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1991年8月10日

5時7分夕べも胸が痛かったのですが、急にあまりにもひどく痛み出したので注射してもらいました。お陰で和らぎました。6時起床、体温測定36.8度。背中痛い、太もも痛いと報告。6時20分薬注入。

5時30分水枕取り替えしてごみ捨てて6時帰る。帰りしな今日は夜勤で来れないというので母に電話してと頼んだら昼間来るからと言って帰って行った。幸いにも来たら言えるけど、もし来なかったら晩来てもらうことできないだろう。夜勤で来れないので電話で母に晩に泊まって欲しいと頼んでおくれと言ったのにもし来ないなら連絡がつけようがないだろう。なぜ母に電話するの嫌うのかしらね。不思議。

美智子は昼間は来ると言ってた。今日は内科へ行くのだとも言ってた。夜勤で昼間はおるから来てもらえる。嬉しいね。でも泊まりに来てもらえずがっかりよ。うまく連絡して欲しい。そしたら11日も夜勤で来れないだろう。残念。

8時30分体拭き9時30分処置室へ。取り替えと手当て。鼻に薬付ける。足慣らしにおばさん所まで行き、いないと思うと早座ってた。おばさんのお陰で一番にしてくれた。ありがたや。嬉しかった。先生は左手の腫れを外科で診てもらうかと言ってたが外は検査してくれないのだろうか。待っているのに。

10時もうすぐ点滴しに来ると思う。11時30分点滴大小する。薬注入。辛気なので早目にしようとしたら少し早く出てしまった。良かった。今日時夫君から電話してきたという。私が早く元気になるようにと優しい心遣い。嬉しいですよ。ありがとうね。12時30分点滴、注入終わる。ほっとした。1時30分検温時間。報告。

3時検温37度。西蔭先生に左腕診てもらうよう、胸はこらえきれなかったら注射してあげると言った。明け方に胸が締め付けられそうに痛かったので注射してもらったら痛みは取れたが、まだあつばかんしたような痛み残る。どうせ火曜日が西蔭先生診察日だからのんきに待っていよう。

3時30分夫と美智子帰る。やはり電話してくれたらしく急に母が来る。びっくりした。明日も来ると言ってくれた。安心。久が明日帰るだろうか。私は12日になるやらもと思い母に言ったのだ。腫れているので外科で西蔭先生に診てもらうよう言ってくれた。西蔭先生は火曜日だから3日後になると思う。頭打ったのはレントゲンも取ってくれないしおしりも検査してくれない。どうしてか。手ぬるい。がっかり。5時30分薬注入。

明日は日曜日。久君帰って来るかしら。12日は確かだが明日はわからない。8時30分体温測定36.8度。報告紙に書いて渡す。点滴小、薬注入。9時近くに花火上がっていた。まさかここから見えるとは。今年の夏も見えるとは何て幸福かしら。母より5000円もらう。夫に5000円で良いからくださいと言ったのにくれなかった。帰って行った。残念だった。