母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月12日

6時体温測る。36.6度。いたって爽快。喉の穴が早くふさがって欲しい。今日も1日無事に過ごせそう。洗濯しようと思ったが、する人がいてよす。ちょっとの間にと思いちょうど空いたので洗濯する。7時朝食時間。みそ汁、みかん、牛乳は美智子にと思い置いてあげる。おかゆとみそ汁で食べる。7時35分美智子来て注射して食事する。

洗濯物脱水してたので屋上に持って行き干す。しばらくして下りる。8時35分下りてみるとシーツ来ていた。9時45分シーツ交換。今日は付け替えが遅い。10時15分喉の付け替え。11時昼食。しばらくテレビ拝見。1時30分レントゲン取りに行く。2時体温36.3度。大分平熱になる。時夫は美智子連れて戻る。

洗濯物があるのでこれから洗濯するんだという。おかずに天ぷら買って持たせる。3時うとうと眠くなったが、ただうとうとするだけ。4時夕食時間。ここ来て初めて刺身が出る。今日は巻きずしやいなりずしやクッキー等もらって食べる。私は1つもあげるものなくてもらって食べるばかりで心苦しい。気が重い。

4時45分屋上まで洗濯干してたので取り入れに行く。仕事している人や元気な人見てると何だか淋しい。うらやましい気になりもしかしたら退院できないのではないだろうか。明日食道透視するらしいけど、もしかしたらまた手術するための検査かもしれない。また手術しなくてはいけないのだろうか。不安と心配が募る。心は晴れない。

なぜ私ばかりこんな不幸に生まれついたのか。情けない。もう手術は嫌だ。喉で沢山。これでも懸命考えて精一杯突っ張って思いあぐねてしたというのに。