母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月13日

今朝は風が強く台風並みの模様。夜中にびゅうびゅうと風の音がするので、時夫来れるのだろうかと心配で心配でならない。さぞ雨が降ってると思うが無事に着いてくれますように。

6時半体温測定36.5度ある。済んで歯磨きがてら洗濯する。乾燥室で干す。7時食事時間。今朝は絶食ゆえ食べることできない。看護婦さんも絶対食べたらいけないよいう。9時より検査あるゆえ食事一切、お茶も飲んだらいけないのだ。仕方あるまい。

8時35分美智子来る。早速注射してもらいに行き朝食する。時夫は面会室にいるとのこと。しばらくして部屋に来る。しばらく話をする。10時15分喉の手術跡手当てする。今日は高須賀先生だった。夫に会いたいという。会ってこれからのこと言っとかなくてはと先生は言ってた。それで私は主人が先生の所に行くように言いましょうかと言うと構わないという。今度土曜日じゃないと行けない。

済んでベッドに上がり本読む。10時20分頃生徒さんに連れられて62番の食道透視検査に行く。トイレに行って済んで来たらいないのでどうしたのかと見る。放射線科の受付の前にいた。すぐ受付に来て中の看護婦さんに渡す。看護婦さんが入って服に着替えて待っていて下さいという。早速中に入ったら男の人はレントゲン台で見ていた。年取った男の人は待っていた。どのくらい待ったのか私の番になる。レントゲン台に上がりバリューム飲み横向いたり前向いたりして取る。ようやく済んで生徒さんに連れられて3階の処置室に入る。

バキューム受け自分のベッドに戻り30分程寝る。ようやく収まったので食事する。おなか空いたのでおかゆ朝の分まで半分以上食べる。おかずおいしかった。12時半雑談する。2時体温36.8度。3時売店に買い物行く。美智子が明星いつも買ってたので見ると12月号あったので買っといてあげる。それにコップ、ピン止め喜ぶだろうか。どうだろう。もうすぐ夕食時間。早いものだ。あまり空いてないのに。

高須賀先生、私の命を助けて下さってありがとうございました。短い命をこれからは大切に使います。今まで思えばあまりにも無茶に酷使していました。大事に大切にこの体を使っていくつもりです。病院のベッドの上で書いています。

4時夕食時間。食事済んでベッドで寝る。本を見ながら寝ていたら時夫来る。美智子はと聞くと食堂にいるという。6時15分ばあちゃん来る。6時35分夫来る。夫に先生が会いたがってたこと伝える。7時3人とも帰る。ばあちゃんも帰って行く。急に淋しくなる。私は最後まで見送ってるうちに何だか私も付いて行きたくなり、私は入院患者だと心に言い聞かせる。本当に帰ってしまいたい。心のなかにぽっかり穴が開いたような気がする。

梨を半分持たせてあげたいと思ったが、ばあちゃんがいるので止めることにした。美智子はやせたとか胃のあたりが痛いとか言ってたが早く病院に連れて行かなければと気が焦る。8時心というドラマ見る。9時消灯時間。