母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月14日

6時30分体温測定36.4度。7時朝食時間。7時40分美智子来る。早速注射しに行く。どんなにしてるかと様子見に行くと看護婦さんが注射器いじってたので安心して部屋に戻る。しばらくして美智子処置室より来る。すぐ朝食させる。8時35分美智子売店へ買い物に行くというので連れて行こうと思い、面会室に時夫がいるので行くとこのまま帰るというので美智子にバッグ取りにやる。引き返して来て一緒に売店へ下りる。

本を引き取ってもらおうと思い言うと今回限りだからと言い気持ち良く引き取ってくれた。前に明星12月号は買ってたので2冊もいらないので無理に返す羽目になった。申し訳なく謝る。本2冊、天ぷら買って車のところへ行く。

9時半手当て受ける。今日は藤田先生だった。ベロを引っ張ってたが、動きよると言ったりあっという間にふさがるもんだと言っている。大分穴がふさがってるようだ。終わって部屋に戻る。10時これから本でも読もうとうとうとしてたら11時の食事時間。食事ができましたと放送する。早速飛び起きて食事取りに行く。

昼の食事は久し振りにうどん。おいしかった。2時半体温測る。36.8度。後ベッドで寝る。4時夕食時間。簡単なおかずばかりだが病人食にはいいのかもわからない。4時半今日も風呂に入れなかった。耳鼻科の人は手術して1週間したら風呂に入れるというのに私は15日もなってるのに未だに入れない。汚れて気持ち悪い。どうして風呂に入れないのかしら。来週は入れるかしら。

そう言えば子供のことが心配になる。おかず置いてあげてるのにチョロにでもあげたらいいけど。悪くなってなかったら美智子食べるだろう。4時45分そろそろ来る頃だ。何もかも時夫に押し付けて可哀想でならない。時夫がいるからこそ美智子を安心して預けられるし私も時夫のお陰で安心して入院できるんだから。今度退院祝いにどこかで握りでも食べに連れて行かなければ。本当に時夫ありがとう。美智子まで押し付けて。さぞ遊びに行きたいだろう。働きたいだろう。本当にごめんね。。母ちゃんのために時夫を犠牲にして。もう少し我慢してちょうだいね。

6時ばあちゃん来るかと思ったら来なかった。毎日来てもらうの心苦しい。来なかったの良かったと思う反面子供も来ないので淋しかった。どんなだろうと心配していたのに夫だけ来る。折角おかず食べさせたく除けたのに来なかった。夫に持たせたが冷蔵庫にしまっただろうか。夕べは淋しく1時間過ごしたが。でも夫が来てくれて良かった。7時面会時間終了になったので帰って行く。

9時半までここへ来て初めてこんな長く話したのはなかった。久保さん、23才、私のベッドの斜向かいのベッドに居る人。この人も私のような不幸な生い立ちで養女にもらわれた人だ。孤児ばかり預かってる所へお母さんが19才で産んで男の人に捨てられて預けたらしい。

4才の時に今の両親にもらわれたらしい。今の両親は優しい、良い人で良かったと言ってた。それが助けの神と思う。私の生い立ちと全然違うけど養女だけは同じだ。私だけと思ったら他にもおったとは。私と違い高校も看護学校も出させてもらって本当に幸福な人だと思う。もう止めよう。悲しくなる。

9時半体を拭き足を洗って少し寒いのでシャツ着て寝る。