母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月15日

今朝は目覚め良し。6時体温計持って来る。36.4度。今日は良く晴れた日だ。洗濯済み乾燥室で干す。7時食事時間。みそ汁と牛乳、みかんは置いといてあげよう。おかゆだけ食べる。7時35分ベッドの上で本読む。8時35分美智子来る。早速注射してもらい朝食する。済んで屋上に行くと時夫がいてた。一緒にお話する。

9時25分3階に下りると時夫いない。面会室を見るといない。どうしたものかと車の中みるとちゃんと時夫君乗ってたので美智子も乗って行く。急いで3階へ上がってしばらくして手当て受ける。先生は息できるかと聞くので息しやすいと言う。首を押さえたりする。舌引っ張って中を見る。先生が夫に会えない。今日は何時頃来るかと聞くので12時半に来ると先生に言っておいたが。

早速済んで部屋に行き食事しないですぐ来るようにと電話する。会社から帰ったらすぐ病院に来るように伝える。もしかしたら食道の手術のこと話すのだろうか。もし退院間近だったら退院する時に話すはず。やはり手術のことだ。心配でならない。

11時昼食時間。みんな食べる。おいしかった。11時55分高橋さんが見舞いに来てくれる。高橋さんが入院してる時来てくれてやはりおしゃべり激しく嫌ってる様子本人は知らない。可哀想な母。誰からも嫌われている人なんだと思う。しばらく話して帰る。腎臓の検査するそう。

12時15分テレビ拝見。高橋さんが食道手術しない方が良いと言った。食道した人はまもなく死んでしまったらしい。食道は大切な食べる道だから。夫にどんな話があるんだろう。本当に心配になる。高橋さんより見舞金千円也。

12時35分時間来ても来ないので下に行き外で待ってたけど来ないのでしんどくなり3階に上がり部屋に入ってベッドに上がる。1時になっても来ない電話かけると時夫出る。12時35分ごろ家を出たという。もしかしたら先生に会ってお話ししてるのかもしれないと時夫言う。私もそうかもしれないと思い別に用事なければと言い電話切る。

面会室から出てエレベーターを見て階段の方を見ていると主人が来ていたので先生に会ったかと聞くと耳鼻科で待っていたが先生は出て行ったという。それで私の部屋で待ってたらパンでも食べたいというので売店に行くからお金くれという。千円渡してやると食堂に行くという。私は子供たちにおかずをと思い買って自室へ行く。

しばらくして夫は来る。ちょうど散髪から出て来た所でばったり会って話を聞いたらしい。先生の話によれば大分良くなった、退院は今月終わりだとそれだけ言ったという。後聞いても笑いでごまかして私には言ってくれない。確か他にまだ大切な事言ったはずだと思う。私に隠さず言ってくれたらいいのに。たったあれだけ言うのだったら私に言うはず。わざわざ主人に言うはずないと思う。何を隠してるんだろう。気になる。心配になる。明日ぐらい言ってくれるだろう。

2時35分体温計取りに来る。36.5度ある。2時40分夫帰って行く。話をしたりテレビ見たりしてるうち4時になり夕食時間になる。後テレビ見る。5時50分時夫と美智子来る。夫は来ないという。面会室へ行ってお話する。7時時夫も美智子も帰りしなたこ焼き買うというので私も一緒に買ってもらう。部屋に戻りみんなと分けて食べる。

7時半体温計36.5度ある。8時テレビ見る。前ここに一緒にいてた人だが、その人によれば口の中に二本骨が生えて来て方々の病院へ行って最後に県病院へ来たそうだ。骨除ける手術を4回もしたそう。ガーゼが5本も入れたそうだがひどいこともあるものだ。むごい。私がまだましな方だと思わなければ罰が当たる。9時15分ぼつぼつ灯が消えるので寝ることにする。