母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月17日

6時半体温測定。36.5度ある。いつも同じ体温。私は36度ぐらいが平熱だろうか。7時朝食時間。私は美智子にみそ汁を置いてあげるためおかゆだけ食べる。8時40分美智子来ていた。早速注射しに行く。しばらくして戻って来て食事する。食事済んで屋上に洗濯物干すため行こうと思って面会室へ行くといないので車に乗ってるんだと思い車の所へ行くといない。もしかしたら待合室にいるんだと思い行こうとしてると時夫が来ている。3階に上がって話をする。

お金をあげてくれるよう言ってたがあげてくれるかしら。9時半耳鼻科の手当て受けるため見送ってあげることできないので処置室へ行く。しばらくして呼ばれ手当て受ける。今日はちょび髭の先生だった。久保さんは今日退院できる日だけど1週間延びたそうだ。少し悪いらしい。折角喜んで退院の支度をしてたのにがっかりしたのだろう。泣いてた程だから。私の身に変えて考えてると本当に辛い。泣くほど悲しいと思う。

手当て済んで車の所まで行くともう行った後だった。また6時頃会えるんだから。美智子が初めて大根とじゃがいもを一人で炊いたといって持って来た。やっぱり手伝いさせたかいがあった。おいしく丁度良い味加減に炊いている。本当に嬉し涙が出て来る。美智子は不思議そうに見ていた。もう私がいなくても否、寝ていても大丈夫と思う。私が信じてた通りだと思い嬉しくなる。昼は炊き込みごはんこさえたといって持って来てくれた。本当にうれしいものよ。やはり難儀して産んで育てたかいがあったと思う。やはり私の子供だ。時夫君よ、美智子ちゃんありがとう。

11時昼食時間。2時30分今日は何だか体がすっきりしない。妙に頭が痛いと思ったら37度あった。やはり体って微妙にできているもの。体だるくベッドで寝る。4時夕食時間。後テレビ拝見。ひたい押さえると熱っぽく感じる。5時35分今晩はえらい遅い。どうしたのだろう。6時に来るかしら。6時20分時夫来る。美智子見えないのでどうしたものかと聞くと地下で食事してるとか。少し遅れて来る。6時40分夫来る。

昨日あんなに言ってたのに時夫にも私にもお金くれない。どうしてだろう。やはり姉さんから言われたのだろう。どうして私達夫婦に水をさすのだろうか。仲悪くなったら嬉しいのかもしれない。美智子が紙に書いてくれ父ちゃんに見せるからというので書いて持たせる。7時外まで子供たち見送る。

7時半体温測る。36.5度。急に下がるとはおかしなものよ。今日は通じないのでおなかの調子悪い。本当におかしい気持ち。十亀さんと水口さんは明日午後より手術のため早く寝る。無事に手術できますように。それに無事に終わりますように。9時消灯時間知らせる。