母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年12月1日

夕べはなかなか寝付かれず弱った。いつの間に眠ったのか看護婦さんに起こされる迄知らなかった。採血で右の腕はなかなか取れず3ヶ所もしたのに駄目で左で血取ってようやくできた。何時か知らないけど眠れないままに6時になる。体温計取りに来て良く眠れたか、どうもないかと聞かれる。私は少し喉が圧迫して食物が取りにくなったが言わないことにした。もし言ってそれだけ電気治療が遅れたらいけないから。詰まってくるまで辛抱して受ける覚悟である。子供のため一日も早く退院しなければ。そのためにも少々のことは音を上げないし辛抱する。

7時朝食時間。食パン1枚は残しておいてあげる。8時過ぎても来ないので心配になり落ち着かない。9時になってようやく美智子来る。すぐ注射してあげ朝食させる。あいにく耳鼻科の処置時間になり処置室に行く。手当て済んで自室に戻る。食事済んでたので美智子連れて下りる。待ってくれてた。時夫一緒に車に乗り帰って行く。美智子連れて眼科行くのだろうか。すぐにしてくれたら良いのだけど。

10時半治療受けに行くと先にしてたのでしばらく待ってた。2分ぐらい待って私が受ける。終わって台から下りると見習いの学生さん二人そばに来てた。まっすぐエレベーターに乗り3階に上がるとちょうど食事が来ていた。今日は秋山さんと都筑さんが退院。やはり淋しい気持ちになる。退院する人ばかり見送って私はいつ退院になることやら。余計ゆううつになり淋しい。私は一日も早く退院したいと思っているのになぜならないのだろう。

放射線科の先生から白血球が少なくなってるようだ、色がある食べ物を食べないといけないと言われたので食べることにした。久保さんと十亀さんとで売店に行くが一銭の金もないので買うことできない。おごってやりたくてもできないので淋しい気持ちがする。アイスクリームと大きな梨の半分ももらって食べたのでおなかいっぱいになった。

2時になったのでテレビ見たかったけど止めて自室に戻り寝る。しばらく寝ようと思い横になりうとうとしてたが騒がしくてとうとう寝ずじまい。4時夕食時間。4時40分久保さんと外に出て芝生でしばらくお話しして5時半に病院の中へ入る。5時50分母来る。タルト持って来るのはいいけど食べた残りのようで食べる気がしなかったが二切れほど食べる。何のつもりで怒ったのか知らないがえらい怒っていう。二十才頃から思い浮かべて反省したり考えたりしたが理があってこうなったとかわからないことばかりいう。みんな居るのに大きな声でしゃべるしこちらは恥ずかしくなってくる。

6時美智子来る。美智子来てすぐ出ていったので母はどうしたのかと聞くので食堂へ行ったといっておいた。面会室にいてたらいいがと思ったりして気は落ち着かない。7時までに行かないといけない、忙しいからとさっさと出て行く。私は美智子連れに面会室に行くと美智子いてた。夫も後から来た。1万円渡してくれた。本当に助かった。7時道事夫は帰る。外まで見送って上がる。7時半検温時間。37度ある。