母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年12月4日

6時半検温。36.5度。頭の重い朝。父の夢を見た。父の横に寝てた。喉は痛い。これからを思うと心も何もかもくじけそうになる。負けずがんばらなくちゃね。一日も早く子供の所へ帰ってあげるには私が辛抱して耐えることにかかってるんだから。さあ今日もがんばろう。

9時15分心配してたがようやく美智子来る。雪が降ってるそうだ。昨年より早いように思う。早速注射してあげて食事させる。10時放射線科の治療受けに行く。途中1階の待合室や面会室と探したがいないし食堂も探すけどいないので車の所に連れていくが車がないので美智子に面会室に行くように言って治療室へ行く。

10時50分看護婦さんに診察まだだろう、処置室前で待っててくれと言われ待つ。11時10分ようやく高須賀先生が見える。11時半十亀さんのご主人が病院から外泊して来た晩にごぼうを抜こうとして転んで石で脊髄打って足が動かなくなったらしい。夫婦とも不幸な人だと思う。先に久保さんにお金貸してくれと言ったらしい。私にも3千円程お金貸してくれという。私も困ってしまった。3千円貸したら千円しか残らない。困った。それで久保さんに千円、私が2千円貸してあげてといって慌てて自室に戻りお金持って行こうとしてたら久保さん見えて十亀さんのご主人はタクシーで行ったというしお金貸さないほうが良いというので貸さないことにした。

4時夕食。前のベッドの人がお肉嫌いだからといって私にくれる。4時35分ようやく食事済み見習生さん今日で実習終わったのでとお別れに来る。やがては県病院の看護婦さんになると思うけどさぞ立派な看護婦さんになることだろう。いよいよ気立ての優しい人だった。名残惜しい人だった。元気にがんばってください。

5時308号室へ行きテレビ見せてもらう。久保さんよりまたもコーヒーもなかもらって食べる。6時15分時夫と美智子来る。エレベーター前で話をしてたら夫来る。エレベーター前で話をしていたらちょうど十亀さんのご主人が来て2千円返してくれた。私もお金に困ってた時だしそれに請求はしにくいからちょうど良かったと思う。

7時検温。36.7度。7時20分美智子達食事してないので帰すため外まで送っていく。喉が痛かったり喉が狭くなるのはやはり治療のせいだという。今日はお昼に地下食堂で中華そば食べる。戻ってまたごはん食べて夕方は8時に久保さんと一緒に外に出て寿司を買って二人で食べる。喉が痛いのでおいしさは味わえないけどおいしかった。今のうちにうんと食べておかなくては。今日は工事で9時より電気は消えるという。早く休みにしよう。