母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年12月5日

6時半検温。37度ある。5時に目が覚めてトイレに行き寝ようとベッドに潜るがなかなか眠れない。7時朝食時間。今朝もまた十亀さん牛乳とパン持って来てくれる。喉が痛くつば飲み込んでも痛いし何だか食道が狭くなった感じ。どうかしたら駄目になってしまいそう。

9時耳鼻科処置がある。3番目頃にしてもらう。9時半美智子来る。注射してあげて朝食させる。時夫はまっすぐ眼科へ行ったという。10時美智子に千円私おかず買って来て食べたらいいと外まで送っていく。10時半放射線科へ治療受けに行く。11時終わって戻るとちゃんと食事置いてあったので食事する。

土日と治療お休み。先生はこの治療が目安だから終わったら帰れると言ってたが22、3日頃には退院できると思う。処置室で村上先生が喉の奥見て左の声帯は止まってしまっている。右が少し動いているので少しは声が出るという。やはり高須賀先生が言ってた通りに声は出なくなるのかもしれない。例え少しでも声が出たら我慢しなくてはいけまい。

1時15分地下の食堂へ行く。久保さんと二人で鍋焼きうどんを食べる。ちょうど並んでたら高須賀先生に会う。喉のこと気にしてどんなかと聞くので少し喉が狭くなったようなというと、何かしらないけど放射線はどうのこうのと一人で言ってた。3階の耳鼻科東の看護婦さんと村上先生が食事してた。私達が食べてたら、昨日お寿司屋さんでお酒飲んでたが地下食堂で皿洗いに雇われているのだと言ってたが後ろで食事している。

1時40分3階に上がり久保さんと一緒に部屋に行きしばらくしたら2時の検温の知らせで自室に戻る。36.8度あった。ベッドで寝ていたがとうとう眠ることできなかった。4時夕食時間。ごはん食べるの難儀になった。固いものかんでもあまりかめず、虫歯があるので前歯では思うようかめず沢山飲み込むと詰まってしまう感じで苦しくなるので慌ててお茶を流し込む。

4時半久保さん先に風呂に入ってたが後から私が入る。ついでに髪を洗う。しばらくして酒井さん入ってくる。もうすぐ5時になるので急いで風呂から上がる。5時半久保さんとたこ焼き買いに行き面会室で食べる。6時もう来る頃だと思い地下の食堂へ行くが定食できずおかず買って面会室に入る。別に用事もなく話もなくただテレビ見てるだけ。沢山話があるように思うが会ってみるとないのだからおかしい。

7時美智子おなか空いてるというので帰ったらいいといい外まで送る。何だか美智子今日も淋しそう。7時20分慌てて自室へ戻ると看護婦さんが体温計置いてるから測る。36.8度ある。8時久保さんにテレビ見せてもらってタルトまでごちそうになる。十亀さんに梨もらう。

8時50分自室へ戻る。9時15分看護婦さんに言われて看護婦室に行き吸引する。10分経ったのだろう。切れたので戻り日記の続きを書く。お休み。美智子、時夫がんばって。お母さんもがんばります。