母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年12月18日

6時半体温計取りに来る。36.9度ある。7時朝食。今朝は透視があるため食事なし。9時美智子来たので注射して朝食させる。9時半処置室にて処置がある。検査があるので一番にしてくれる。

10時15分待っても呼んでくれないのでどうせ10時半頃だと思い美智子連れて車の所まで見送りする。戻ってレントゲン室前見ていると見習い生の人が立ってるしこちらをずっと見ているのでもしやと思いつつエレベーターに乗ろうと待ってたら見習生が来て私の名前を聞く。放送で来るよう呼んだという。私は一向に知らなかった。すぐついて行きレントゲン室に入る。

レントゲン用服を来てしばらくしてから注射する。私の横の女の人が胆石かと聞くのでいいえと答えたら次の男の人が検査でどうも胆石らしい。はっきりとわかる。それでもしやと思い私に聞いたのだろう。これで失敗したらどうしようもない。大恥かくところだから。私の番が来て機械の上に乗る。バリューム飲む。飲み込む時器官の所へ行きそうで心配で力入れて飲む。無事に済んでほっとした。先生は何も言わないので成功したのだと思い本当に良かったと嬉しくなった。うがいする時吐きそうで弱った。自室に戻り気分悪くなり少し横になる。

4時30分夕食。吸引してから食事する。手紙久君と時夫、美智子に出すため書く。間に合わず明日出そう。夫来る。食道の透視が気になり夕食もせずまっすぐ来たのだという。そんな早くわかる訳ないのに。外出てたこ焼かって主人にあげて私はさつまいも焼いたの買って戻る。村上さんと二人で食べる。7時半検温。37.1度ある。9時半電灯消える。