母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1991年8月17日

1時5分傷口とおなか痛い。急に痛み出した。しばらくしても治らずとうとう根を上げ、事情打ち明け。下腹は便秘のせいだろう。うんちが3日も出てこないので痛むのかしら。まあまあ次から次と痛み出すのが嫌なのに痛み止め注射してもらう。ゼコゼコと喉元、たんがたまり苦しいのか。私は心の緩みでつかまろうとしてよろけおしりと頭を打った。夫が電話してくれたら良かった。これがこんなにもあっちこっちとまあ次から次と痛む。咳込むと余計痛い。ただがんばるしかない。きっと元気になってやる。でも考えると悔しいじゃない。誰も来てない時になんて。残念無念である。これからがんばりますよ。夫のためと子供のためにね。

今日もまた注射してもらい少し和らぎました。両足少し和らぐ。これでも助かります。久君、昨日と今日6時より来てくれて、好かないだろうに帰るまでじっとイスに座っているけど、しんどくてうっとうしいでしょうね。ごめんなさいね。母のため苦労掛けてすまないと思いますよ。きっとがんばって帰りますように待っていて下さい。今にまた5人家族仲良く過ごせるようがんばって早く帰ります。9月末には帰れるようにとね。

私は一日早く見ていました。明日が17日でした。明日よりきっとぼつぼつ良くなってくるでしょう。私はそう思う。8時30分点滴する。今日は看護婦さんの親切で台の上でしてくれる。検温時間36.9度あった。手足の震えとしばりあり、背中と胸痛み報告。現在の時刻9時5分。10時30分消灯時間。今日は一日間違えて今日は16日であったのに今日は17日であった。きっと18日今日より良くなると信じます。

一番痛い所、胸と背中。咳き込むと胸に応えて余計痛みます。右足はそれほどないけど、右足を下ろす時に歩く度痛みます。今日、足の震え、手のじんじんしたしびれです。1時15分寝ないようにがんばっているけど眠くて困る。眠い。本当に弱る。とっても眠い。忘れてた。睡眠注射をしてもらうことだったが12時間近く胸、背中と痛いので痛み止め注射してもらう。やはり痛み去り少しは和らぎます。して良かった。ちょうど治療時間に注射切れで痛むのかな。またとっても痛む。

1時37分たん取り終わり、出るオナラです。きっときっと良くなります。一難去ってまたやって来る。災い転じて福となす。山場が4ツ程ありました。でもくじけずがんばりました。弱虫にならないように強虫になって。これから少しずつ薄紙はぐように良くなってくると信じてます。

薬、痛み止め注射、毎日の点滴、朝の点滴小1ツ、昼の点滴大1小2します。すごく痛む時、痛み止め注射してもらってます。良くなりたい。きっと良くなり元気になります。秋口には帰れると思います。本当はね、8月中に帰れると思ったのに、ちょっとした魔のいたずらでこんなにも遅くなりました。残念です。くよくよしても始まらない。顔で笑って心でなく状態です。がっかりね。これからは弱虫にならないように強虫に隙間なくがんばろう。一日も早く元気になりますように。

相変わらず痛む。今日、中村先生腕の腫れレントゲンするよう言ってます。今日だろうか。西蔭先生診察してくださったから来週火曜日だろうか。ゆっくり焦らず待ってます。レントゲンね。

時々痛み来るので弱ってくる。薬替えてみると。3時30分注入終わり、目が覚めてみると早8時15分だった。8時30分体拭くため持って来た。10時30分処置室へ行き、先に治療してもらい助かりました。11時40分注入。薬、痛み止め注入する。3時40分美智子外出する。