母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年3月25日

4時目が覚めたが、しんどいので起きず寝ていた。6時起床時間になり体温計り、体重36.4少し肥えたようだ。食べたかいがあったと思い嬉しかった。一日も早く点滴をのけて欲しいからだ。食べて食べて肥えなくちゃと思い食べているのだが人が聞いたら笑うだろうと思う。

風呂掃除しなくちゃと雑巾がけしてから雑巾洗いに行った先に喉のが落ちてたのでびっくりした。すぐ洗って詰所に持って行く。もうすぐ来るからそのままいてもかまんからしばらく待っていてと看護婦さんは言う。

10時過ぎに買い物に行く。地下の食堂行きばら寿司2パック買い、一階の売店で牛乳、パン、ウーロン茶、アイスクリーム買って3階の自分の部屋に行く。アイスクリームに牛乳等飲んでいると早12時の昼食時間。おかゆは味がないので食べずに出す。後ばら寿司を半分食べているとマイクで耳鼻科処置するので待ってくださいと言う。もう少し遅いかと思いゆっくりしていたらとんでもない。今日は少し早かった。

放射線科お休みである。喉の取り替え済まし部屋に戻りコップ等洗ってごみ捨てて、しんどいから子供来るまでベッドで休むことにする。たん取り水の入れ替え。処置してる時、今日は高須賀先生である。無理に飲んだりしないように、さあどうしようかと頭ひねっていた。喉の中も喉も良くなっていると言ってた。早2時になった。

時夫君等来るとしても3時頃だろうと思い寝ていたら時夫君来ていたのでびっくりした。美智子はデパートに寄るので遅くなると言ってたから知っているけど大方5時近かった。5時前に時夫君にプリン、牛乳、アイスクリーム買って来てもらった。5時の夕食時間。おかず昼夕と持たせてあげる。ヨーグルト他色々と持たせてあげる。明日から日勤だと言ってた。夫は夜勤だそうだ。美智子は来ると言ってたが夫は来てくれるだろうか。信じてるけど。

6時過ぎ体温測ろうと思い見るとないのでびっくりして探すと下に落としていた。すぐ詰所へ行き落としたこと話して用紙に事情と名前書かされた。拇印押して済み。7時過ぎ電気工事してるので11時まで停電するという。一時部屋の電気も切れたら10分程してついた。テレビは映らない。11時までらしい。起きていても仕方ないので寝ることにした。